「非日常の日常」ということについて

眼科画廊での展示終了しました!
いやいや、来てくれた皆々様、本当にありがとうございます。
感謝感激雨権藤でございます。
コメントカードを読んで涙がちょちょぎれんばかりでございます。

さてさて
写真と出展した写真集について少し話そうかと思います。

普段から写真を撮るときは、特に作品を作ろうとして写真を撮るときは、
「非日常の日常」というのを中心に考えています。
普通、写真を撮るということは逆なのかもしれません。
日常、生活の中に置いて非日常的なことを写真におさめる。
それが、写真の原点だと思います。
しかし、僕の興味が向かう方のは、
自分にとって非日常の世界の中で営まれる日常の出来事でした。
写真もカメラも、それに付随することすべても好きだけど
自分自身が表現をするときには、
普通の撮り方はつまらないものでしかありませんでした。
だから作品として撮ってきたものは、
基地、工場、ボクシングの試合会場、核再処理施設。
そんな、自分の生活とはほど遠いものを作品にしてきました。
そうしてきたのは、どこか非日常的なそれらの世界は
自分の住む世界とは隔絶されたものだと考えていたからかもしれません。
だからこそ、客観的に訪問者として写真が撮れたのかもしれません。

2011年3月11日金曜日。昼過ぎ。東日本大震災発生。
いままで考えていた自分の写真の哲学はぶち壊されました。
どこか隔ててあった非日常の世界が、自分の日常に流れ込んできました。

当日僕は愛機、Leitz Minolta CLのレンズフードが前日に届いたこともあって
渋谷に写真を撮りに出かけていました。
そこで地震に遭いました。
地震発生直後から、写真を撮り始めました。
そこから僕は撮り続けることしかできませんでした。
気付けば、写してきた写真はいつも自分の撮ろうとしていた
「非日常の日常」になっていました。
僕がその世界の住民になっていたのです。

一ヶ月で撮りためた写真は何百枚にもなりました。
その一枚一枚はアマチュアな切り取り方をした写真です。
報道カメラマンならまず撮らない写真です。
しかし丁寧に、ネガに焼き付けました。
そしてこの写真を誰かに見せたいと強く思いました。
それは、僕の写真の中に写してきたものは
いずれどこかへ消えてなくなってしまうものだと思ったからです。
今回の地震からの被害は
津波や原発事故の大きな被害の記録しか残らないのではないでしょうか。
それだけ大きな、歴史的な災害だったということもあるでしょう。
でも都市部にいた人間が体験したあの不安、あの恐怖、あの衝撃は
まるでなかったかのようにされています。
僕はそれが嫌でした。

ひとつきである一定の区切りを付け
「非日常の日常」ということを、いつも僕がテーマに据えてきたことを主題として
『あのときのひとつき』という写真集を作りました。

写真集をたくさんの人に読んでもらい、とても嬉しく思います。
次回作も頑張ろうと思っています。

では